薬物事犯の厳罰化が間違っている
「松本人志の「薬物厳罰化」発言が何から何まで間違っている理由」(*1)というコラムを目にした。芸能人や元プロ野球選手などの著名人が逮捕され、メディアから糾弾されても意味は無く、海外で顕著な成果を上げている「薬物使用、所持の非犯罪化」などの、エビデンスに基づいた医療を以って効果的な対策をするべきである。という内容である。
著者は、薬物事犯は減少傾向、横ばいにあり、少年の薬物事犯においては平成初期に激減している、と指摘しています。しかし、激減していると言っても「シンナー」だけであり、これは流行りみたいなものではないだろうか。他の薬物に関しては横ばいです。
また、この頃から団塊ジュニア世代が成人を迎え、10代の人口が減り、少子化となり始めた時期です。「厳罰化しないでも減少している」は誤った認識ではないだろうか。
薬物事犯の厳罰化
松本人志氏の提唱する薬物厳罰化で、仮に法定刑を「売る、所持、使用、初犯で実刑(懲役もしくは禁固)10年」と改正します。
懲役(もしくは禁固)10年という時間を失う事や前科者への社会の対応、刑務所でのプライベートの無い厳しい生活ぶりがネットで周知されている現代という事を考慮すると、「生まれて初めて薬物を使用する人」に対しての抑止力が高くなり、初犯率が下がる可能性は否定できません。
厳罰化すりゃ犯罪減るって思うのは浅薄だし、厳罰化は社会を不自由にする。そもそもある程度麻薬などは合法化した方がいいのに。
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) November 24, 2019
松本人志、沢尻エリカ逮捕で提言「これを言っているのは意外と僕だけ」 https://t.co/8uKy3Nn0nf
また、著者は、堀江貴文氏の上記ツイートにも賛同しているが、厳罰化は生まれて初めての薬物使用の抑止力を高める為に、「リスクを甘くみて安易に薬物を利用する」という思考の底つきを促すものではないだろうか。
厳罰化は社会を不自由にする。と言うが、夜中の車の通らない赤信号の横断歩道を渡っているのを厳罰化するのとは訳が違います。
再犯率の増加
著者は厳罰化によって犯罪率が増加するエビデンスがあるというが、薬物生涯経験率の高い(日本との差が約10倍から20倍)国のエビデンスであって、薬物生涯経験率が約2%の日本では、そのエビデンスや「非犯罪化」が有効であるのかは疑問符を付けざるを得ない。逆に、日本の「薬物生涯経験率約2%」は先進国ではないだろうか。
また、著者の指摘する刑務所の年間一人当たり約400万円のコストは外国の話であり、日本では約300万円である。(*2)外国の薬物生涯使用率を勘案すると、日本の社会的コストは外国より低いのではないだろうか。
出典:主要な国の薬物別生涯経験率 | 厚生労働省
違法薬物の薬理作用
ここで、著者も指摘している再犯率が高くなる理由でもある、違法薬物の薬理作用という側面を見てみます。以前に作成した、不可逆性の高い違法薬物である、コカインと覚せい剤の薬理作用の説明です。
コカイン | 覚せい剤 |
図の左側のコカインは、シナプス前終末のトランスポーターを阻害して、シナプス間隙の神経伝達物質(ノルアドレナリン・ドーパミン)の濃度が高まり、情報の伝達がより強固に長時間持続します。 | 図の右側の覚せい剤は、シナプス間隙からシナプス前終末のトランスポーターから侵入、シナプス小胞に入り込み、神経伝達物質(ノルアドレナリン・ドーパミン)を小胞から押し出します。その結果、シナプス間隙の神経伝達物質の濃度が高まり、情報の伝達がより強固に長時間持続します。 |
不可逆性、可塑性の研究 | |
人では無いですが、北海道大学のラットを使用した研究では、背外側被蓋核への興奮性のシナプス伝達が増強しており、腹側被蓋野のドーパミン神経細胞の活動が活発になっている事が確認されています。 (*3) | 覚せい剤はPET研究(放射性薬剤を体内投与、特殊カメラで画像化)において、使用経験者の脳内セロトニン・トランスポーターの密度が健常者より低下しており、その低下が攻撃性の強さと相関している。 |
これまでの研究で脳内報酬系の不可逆的な変性により、脳内報酬系が過度に活動する事で、薬物依存が形成される事が判っています。
覚醒剤使用経験者の脳内5HTT (セロトニントランスポーター)の密度が、健常者より低下している事が攻撃性の強さと相関しています。更に、覚醒剤乱用者では大脳基底核のドーパミンD2受容体の減少が関連して、線条体のドーパミンD2・D3受容体利用率が健常者より低下する事が衝動性と負の相関関係です。(*4)
このようなエビデンスから、不可逆的な薬理作用によって攻撃性や衝動性が増加することで、薬物の再犯率や、その他の事件が起こる可能性が高まるのであれば、初めての薬物使用の抑止力を高める為の、松本人志氏の提唱する厳罰化は一理あるのではないかと考えます。
また、ある専門家は薬物犯罪は「他人に危害を与えていない」というが、 過去には薬物使用者の殺人事件(刑事事件)も起こっています。実際に薬物使用者によって殺人事件が起きていれば、「薬物使用者は他人に危害をほとんど与えない。被害者が運が悪かった」では済まされない問題です。
薬物使用の非犯罪化
著者の提唱する「非犯罪化」は、薬物使用までの閾値(いわゆるハードル)には個人差があるという事を考慮していません。
「予防をしなければいけないクラスタ」の中でセグメント分けした「薬物の危険性を甘く見るクラスタ」や、グループ全体の中でセグメント分けした「薬物依存しやすい体質の人」の、薬物使用までの閾値が下がるだけではないだろうか。
「薬物依存しやすい体質の人」の薬物使用までの閾値が下がると言う事は、その薬物がゲートウェイとなり、薬物依存が増える危険性を孕んでいます。然すれば、閾値は高ければ高いほど良いと考えます。
専門家の薬物使用の非犯罪化の提唱
専門家が「非犯罪化」を提唱するという事は、日本と外国の環境や国民性などの違いも同一視してるという事です。同一視しているのであれば、薬物生涯経験率の日本(約2%)と外国(約40%)の数値を勘案すると、現在よりも薬物生涯経験率は上昇するという予測は容易に成り立ちます。
「非犯罪化」は、世界の主流で効果的だというが、それは薬物生涯経験率の高い外国での話であり、薬物生涯経験率が著しく低い日本に導入して効果があるのだろうか、と疑問符を付けざるを得ません。現在の結果を出している効果的な施策を変更するのは「ギャンブル」以外の何物でもありません。
然すれば、現時点での日本の薬物生涯利用率2%の「ダメ。ゼッタイ。」を堅持する事が最適解となり得ます。また、有名人などを見せしめにして、その社会から排除される強力なスティグマが、日本での薬物生涯使用率2%の効果的な予防となっている事も事実ではないだろうか。
子どもたちに薬物を勧めるくらい元気のある乱用者は、それこそ『EXILE TRIBE』のメンバーのなかに混じっていても不思議ではないような、格好いいルックスのイケてる先輩、健康的な体躯をした、「自分もあんな風になりたい」と憧れの対象であることの方が多いのです。少なくともゾンビや廃人にはほど遠い人たちです。子どもたちを守れないだけではありません。そうした予防教育が、薬物依存症を抱える人たちに対する偏見や差別意識、あるいは優生思想的な考えを醸成する下地を作っていないでしょうか?(*5)
精神科医である松本俊彦氏の指摘する、このような事実があれば、有名人を見せしめにして、正しい判断ができない子ども達に、違法薬物に対して身構えさせる事になるのではないだろうか。また、松本俊彦氏の指摘する、違法薬物使用者に対する「偏見、差別意識、優生思想」が、日本での薬物生涯使用率2%という高い効果を得ている、「ダメ。ゼッタイ。」の実態なのではないだろうか。
「ダメ。ゼッタイ。」が当事者やその家族に影響を与えるというが、それが「予防」の為であると啓発するのは、公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会・田中紀子氏の仕事である。
「ダメ。ゼッタイ。」とのフュージョン
日本と外国では環境や国民性が違いがあり、 「ダメ。ゼッタイ。」が生涯使用率で著しく高い効果を得ているのであれば、 「ダメ。ゼッタイ。」を踏襲しつつ、使用者には早めの治療などに繋げるのが最適です。 例えば、パチンコ業界のように相談機関への連絡先ポスターを、使用者の訪れそうな場所に貼るなどは効果的ではないでしょうか。
現代のスマホ普及率85%のインターネット社会であれば、現在のマスマーケティング的で一元的な手法では無く、ターゲットマーケティング的な手法での啓発は可能ではないでしょうか。例えば、「違法薬物予防クラスタ」や「違法薬物再使用防止クラスタ」「潜在的違法薬物使用クラスタ」などにセグメント分けして最適な手法で啓発をします。
「違法薬物予防クラスタ」では「ダメ。ゼッタイ。」を踏襲し、「違法薬物再使用防止クラスタ」では最適な治療などで再使用防止を維持し、「潜在的違法薬物使用クラスタ」には早期の自首を促し、薬物依存状態であれば、最適な治療とサポートを受けさせる。
薬物事犯の検挙者などのグループに対してリサーチをすれば、比較的容易に予防啓発ができるのではないでしょうか。
冒頭で、法定刑を「売る、所持、使用、初犯で実刑10年」と厳罰化を提案しましたが、「回復の為に自首をしたのであれば執行猶予となる。」を付け加えると、「ダメ。ゼッタイ。」を踏襲しつつ、潜在的な違法薬物使用者には回復への道を開けるのではないでしょうか。
無秩序な社会へのインビテーション
今回の一連の芸能人の違法薬物逮捕で、専門家が非犯罪化を提唱するのが目についたが、外国と日本の薬物生涯経験率の顕著な差を明確に提示しない提唱(松本俊彦氏はコラムで提示している)には不安を抱いた。
議論のベースとなる「環境や国民性の違い」や、「薬物生涯経験率の外国との顕著な差」を隠蔽した提唱は、社会秩序を破壊し、精神医療に対して無知な国民が、混沌に陥ってしまうのではないかと危惧してしまう。
21世紀になり、平成も終わり、令和となった時代に、20世紀の昭和の遺産のような、マス・マーケティング的で単一方向な、偏ったポジションの提唱がまかり通る訳が無い。現代は双方向で情報の発信ができる。然すれば、批判を受けるのは容易に想像がつくのではないだろうか。その偏ったポジショニングの理由が解せないのは私だけなのだろうか。
(*1)参照元・松本人志の「薬物厳罰化」発言が何から何まで間違っている理由(筑波大学教授:原田隆之氏) | 現代ビジネス
(*2)参照元・死刑と無期懲役刑を徹底比較!執行までの"お値段"教えます!! | サイゾーpremium
(*3)参照元・ コカイン依存形成のメカニズム 脳幹の神経活動を抑制することで薬物欲求が抑制されることを発見 | 北海道大学
(*4)参照元・依存症 - 脳科学辞典
(*5)引用元・まちがいだらけの薬物依存症 乱用防止教育が生み出す偏見(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長:松本俊彦氏) | BuzzFeed