ギャンブル依存症とかのブログ

確率論に言及しないギャンブル依存症対策や治療に疑問を感じます。
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薬物事犯の厳罰化が間違っている

「松本人志の「薬物厳罰化」発言が何から何まで間違っている理由」(*1)というコラムを目にした。芸能人や元プロ野球選手などの著名人が逮捕され、メディアから糾弾されても意味は無く、海外で顕著な成果を上げている「薬物使用、所持の非犯罪化」などの、エビデンスに基づいた医療を以って効果的な対策をするべきである。という内容である。

著者は、薬物事犯は減少傾向、横ばいにあり、少年の薬物事犯においては平成初期に激減している、と指摘しています。しかし、激減していると言っても「シンナー」だけであり、これは流行りみたいなものではないだろうか。他の薬物に関しては横ばいです。

また、この頃から団塊ジュニア世代が成人を迎え、10代の人口が減り、少子化となり始めた時期です。「厳罰化しないでも減少している」は誤った認識ではないだろうか。



薬物事犯の厳罰化

松本人志氏の提唱する薬物厳罰化で、仮に法定刑を「売る、所持、使用、初犯で実刑(懲役もしくは禁固)10年」と改正します。

懲役(もしくは禁固)10年という時間を失う事や前科者への社会の対応、刑務所でのプライベートの無い厳しい生活ぶりがネットで周知されている現代という事を考慮すると、「生まれて初めて薬物を使用する人」に対しての抑止力が高くなり、初犯率が下がる可能性は否定できません。



また、著者は、堀江貴文氏の上記ツイートにも賛同しているが、厳罰化は生まれて初めての薬物使用の抑止力を高める為に、「リスクを甘くみて安易に薬物を利用する」という思考の底つきを促すものではないだろうか。

厳罰化は社会を不自由にする。と言うが、夜中の車の通らない赤信号の横断歩道を渡っているのを厳罰化するのとは訳が違います。



再犯率の増加

著者は厳罰化によって犯罪率が増加するエビデンスがあるというが、薬物生涯経験率の高い(日本との差が約10倍から20倍)国のエビデンスであって、薬物生涯経験率が約2%の日本では、そのエビデンスや「非犯罪化」が有効であるのかは疑問符を付けざるを得ない。逆に、日本の「薬物生涯経験率約2%」は先進国ではないだろうか。

また、著者の指摘する刑務所の年間一人当たり約400万円のコストは外国の話であり、日本では約300万円である。(*2)外国の薬物生涯使用率を勘案すると、日本の社会的コストは外国より低いのではないだろうか。


主要な国の薬物別生涯経験率 | 厚生労働省
出典:主要な国の薬物別生涯経験率 | 厚生労働省



違法薬物の薬理作用

ここで、著者も指摘している再犯率が高くなる理由でもある、違法薬物の薬理作用という側面を見てみます。以前に作成した、不可逆性の高い違法薬物である、コカインと覚せい剤の薬理作用の説明です。


コカインと覚せい剤

コカイン 覚せい剤
図の左側のコカインは、シナプス前終末のトランスポーターを阻害して、シナプス間隙の神経伝達物質(ノルアドレナリン・ドーパミン)の濃度が高まり、情報の伝達がより強固に長時間持続します。 図の右側の覚せい剤は、シナプス間隙からシナプス前終末のトランスポーターから侵入、シナプス小胞に入り込み、神経伝達物質(ノルアドレナリン・ドーパミン)を小胞から押し出します。その結果、シナプス間隙の神経伝達物質の濃度が高まり、情報の伝達がより強固に長時間持続します。
不可逆性、可塑性の研究
人では無いですが、北海道大学のラットを使用した研究では、背外側被蓋核への興奮性のシナプス伝達が増強しており、腹側被蓋野のドーパミン神経細胞の活動が活発になっている事が確認されています。 (*3) 覚せい剤はPET研究(放射性薬剤を体内投与、特殊カメラで画像化)において、使用経験者の脳内セロトニン・トランスポーターの密度が健常者より低下しており、その低下が攻撃性の強さと相関している。

これまでの研究で脳内報酬系の不可逆的な変性により、脳内報酬系が過度に活動する事で、薬物依存が形成される事が判っています。

覚醒剤使用経験者の脳内5HTT (セロトニントランスポーター)の密度が、健常者より低下している事が攻撃性の強さと相関しています。更に、覚醒剤乱用者では大脳基底核のドーパミンD2受容体の減少が関連して、線条体のドーパミンD2・D3受容体利用率が健常者より低下する事が衝動性と負の相関関係です。(*4)

このようなエビデンスから、不可逆的な薬理作用によって攻撃性や衝動性が増加することで、薬物の再犯率や、その他の事件が起こる可能性が高まるのであれば、初めての薬物使用の抑止力を高める為の、松本人志氏の提唱する厳罰化は一理あるのではないかと考えます。

また、ある専門家は薬物犯罪は「他人に危害を与えていない」というが、 過去には薬物使用者の殺人事件(刑事事件)も起こっています。実際に薬物使用者によって殺人事件が起きていれば、「薬物使用者は他人に危害をほとんど与えない。被害者が運が悪かった」では済まされない問題です




薬物使用の非犯罪化

著者の提唱する「非犯罪化」は、薬物使用までの閾値(いわゆるハードル)には個人差があるという事を考慮していません。

「予防をしなければいけないクラスタ」の中でセグメント分けした「薬物の危険性を甘く見るクラスタ」や、グループ全体の中でセグメント分けした「薬物依存しやすい体質の人」の、薬物使用までの閾値が下がるだけではないだろうか。

「薬物依存しやすい体質の人」の薬物使用までの閾値が下がると言う事は、その薬物がゲートウェイとなり、薬物依存が増える危険性を孕んでいます。然すれば、閾値は高ければ高いほど良いと考えます。



専門家の薬物使用の非犯罪化の提唱

専門家が「非犯罪化」を提唱するという事は、日本と外国の環境や国民性などの違いも同一視してるという事です。同一視しているのであれば、薬物生涯経験率の日本(約2%)と外国(約40%)の数値を勘案すると、現在よりも薬物生涯経験率は上昇するという予測は容易に成り立ちます。

「非犯罪化」は、世界の主流で効果的だというが、それは薬物生涯経験率の高い外国での話であり、薬物生涯経験率が著しく低い日本に導入して効果があるのだろうか、と疑問符を付けざるを得ません。現在の結果を出している効果的な施策を変更するのは「ギャンブル」以外の何物でもありません。

然すれば、現時点での日本の薬物生涯利用率2%の「ダメ。ゼッタイ。」を堅持する事が最適解となり得ます。また、有名人などを見せしめにして、その社会から排除される強力なスティグマが、日本での薬物生涯使用率2%の効果的な予防となっている事も事実ではないだろうか。


子どもたちに薬物を勧めるくらい元気のある乱用者は、それこそ『EXILE TRIBE』のメンバーのなかに混じっていても不思議ではないような、格好いいルックスのイケてる先輩、健康的な体躯をした、「自分もあんな風になりたい」と憧れの対象であることの方が多いのです。少なくともゾンビや廃人にはほど遠い人たちです。子どもたちを守れないだけではありません。そうした予防教育が、薬物依存症を抱える人たちに対する偏見や差別意識、あるいは優生思想的な考えを醸成する下地を作っていないでしょうか?(*5)

精神科医である松本俊彦氏の指摘する、このような事実があれば、有名人を見せしめにして、正しい判断ができない子ども達に、違法薬物に対して身構えさせる事になるのではないだろうか。また、松本俊彦氏の指摘する、違法薬物使用者に対する「偏見、差別意識、優生思想」が、日本での薬物生涯使用率2%という高い効果を得ている、「ダメ。ゼッタイ。」の実態なのではないだろうか。

「ダメ。ゼッタイ。」が当事者やその家族に影響を与えるというが、それが「予防」の為であると啓発するのは、公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会・田中紀子氏の仕事である。



「ダメ。ゼッタイ。」とのフュージョン

日本と外国では環境や国民性が違いがあり、 「ダメ。ゼッタイ。」が生涯使用率で著しく高い効果を得ているのであれば、 「ダメ。ゼッタイ。」を踏襲しつつ、使用者には早めの治療などに繋げるのが最適です。 例えば、パチンコ業界のように相談機関への連絡先ポスターを、使用者の訪れそうな場所に貼るなどは効果的ではないでしょうか。

現代のスマホ普及率85%のインターネット社会であれば、現在のマスマーケティング的で一元的な手法では無く、ターゲットマーケティング的な手法での啓発は可能ではないでしょうか。例えば、「違法薬物予防クラスタ」や「違法薬物再使用防止クラスタ」「潜在的違法薬物使用クラスタ」などにセグメント分けして最適な手法で啓発をします。

「違法薬物予防クラスタ」では「ダメ。ゼッタイ。」を踏襲し、「違法薬物再使用防止クラスタ」では最適な治療などで再使用防止を維持し、「潜在的違法薬物使用クラスタ」には早期の自首を促し、薬物依存状態であれば、最適な治療とサポートを受けさせる。

薬物事犯の検挙者などのグループに対してリサーチをすれば、比較的容易に予防啓発ができるのではないでしょうか。

冒頭で、法定刑を「売る、所持、使用、初犯で実刑10年」と厳罰化を提案しましたが、「回復の為に自首をしたのであれば執行猶予となる。」を付け加えると、「ダメ。ゼッタイ。」を踏襲しつつ、潜在的な違法薬物使用者には回復への道を開けるのではないでしょうか。



無秩序な社会へのインビテーション

今回の一連の芸能人の違法薬物逮捕で、専門家が非犯罪化を提唱するのが目についたが、外国と日本の薬物生涯経験率の顕著な差を明確に提示しない提唱(松本俊彦氏はコラムで提示している)には不安を抱いた。

議論のベースとなる「環境や国民性の違い」や、「薬物生涯経験率の外国との顕著な差」を隠蔽した提唱は、社会秩序を破壊し、精神医療に対して無知な国民が、混沌に陥ってしまうのではないかと危惧してしまう。

21世紀になり、平成も終わり、令和となった時代に、20世紀の昭和の遺産のような、マス・マーケティング的で単一方向な、偏ったポジションの提唱がまかり通る訳が無い。現代は双方向で情報の発信ができる。然すれば、批判を受けるのは容易に想像がつくのではないだろうか。その偏ったポジショニングの理由が解せないのは私だけなのだろうか。



(*1)参照元・松本人志の「薬物厳罰化」発言が何から何まで間違っている理由(筑波大学教授:原田隆之氏) | 現代ビジネス
(*2)参照元・死刑と無期懲役刑を徹底比較!執行までの"お値段"教えます!! | サイゾーpremium
(*3)参照元・ コカイン依存形成のメカニズム 脳幹の神経活動を抑制することで薬物欲求が抑制されることを発見 | 北海道大学
(*4)参照元・依存症 - 脳科学辞典
(*5)引用元・まちがいだらけの薬物依存症 乱用防止教育が生み出す偏見(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長:松本俊彦氏) | BuzzFeed



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大麻で芸能人が逮捕

2019年5月22日に、元KAT-TUNの田口淳之介氏が厚生労働省麻薬取締部(通称マトリ)に元女優・小嶺麗奈氏と一緒に乾燥大麻およそ2.3グラムを所持していた罪で逮捕されました。

その後、6月7日に保釈保証金300万円を納めて保釈をされましたが、その保釈時の『土下座』を一部のネットや依存症界では全否定するようなバッシングを浴びせていました。その点についての私感です。



土下座の意味

フリーライター・赤木智弘氏のブロゴスのエントリーにおいて、もはや、『土下座』は、最早、ドラマやバラエティのお約束であり、「土下座で謝罪を表現すること」は極めて難しいという。

しかし、フィクションとノンフィクションの区別がつかない人が世の中にそんなにも多くいるのだろうか?逮捕されて閉鎖された空間で尋問を受けた後に保釈され、30を過ぎた大のおとなが、アスファルトだろうが土だろうが、地べたに頭をつけて土下座で謝罪しているのである。それがパフォーマンス、演技に見えるのだろうか?、と、疑問符をつけざるを得ない。

初めて逮捕され、保釈され、追い詰められた精神状態の時に、果たしてパフォーマンスや演技で『土下座』をしようと勾留中に考えるのだろうか。これは、保釈時に『どのようにしたら謝罪が伝わるのか?』と考えた刹那、『土下座』という行為をしてしまったのではなかろうかと推測する。

土下座に謝罪の意味はない - 赤木智弘 - Blogos

誰に対しての『土下座』?

また、インターネットにて、誰に対して『土下座』で謝罪してるのか?というのは、

  1. 世間を騒がせた事に対しての謝罪
  2. 関係者やファンを裏切った事へ対しての謝罪

ではなかろうか。

誰に対して謝罪してるのか判らないというのは『行間が読めない』のではないだろうか。



「ギャンブル依存症問題を考える会・田中紀子氏の断罪」



これは依存症界ではなく、田中氏の視点だけの『利己的』『独善的』な発言ではないか?田中氏は田口氏が保釈され、インターネットでこういったバッシングを目にすることを考慮しないのだろうか?

逮捕されて閉鎖された空間で尋問を受けた後に保釈され、田口氏がどういった状況なのか、依存症の知識があるのかどうか、周りにフォローする人物がいるのかどうかも不明瞭であり、保釈後に一人でいる状況も考えられ、追い詰められてるかもしれない。

万が一にも最悪の事態の可能性もある。

田中氏が『我々依存症界にとって迷惑』と断罪する事は、田口氏の精神状態を全く考慮しておらず、この断罪は早計すぎる。と断罪せざるを得ない。田中氏は依存症罹患者の自殺率の高さを認識しているにも関わらず、自らの団体の主張を押し通す事だけの発言、これを『利己的』『独善的』と言わずにして、どう表現すればいいのだろうか?


弁護士が『土下座を促す』?

芸能人の保釈時の映像を見ていると、謝罪の文言は弁護士が考えていると推測できるが、常識的に弁護士が謝罪として『土下座』を促すような事は到底考えられない。これは深読みしすぎではなかろうか。



『土下座』や『丸刈り』は依存症に効果がある?


一般の方々に、土下座や丸刈りそういった精神論が、依存症に効果があるいといった、誤解が社会に広まらないで欲しいです。(*1)

一般的には『土下座』や『丸刈り』は謝罪であり、「『土下座』や『丸刈り』が依存症の治療や回復に効果があるといった誤解が広まる」と、『たった一度』の事例だけで危惧するのは結論が飛躍しすぎであり、ましてや、スマホ普及率80〜85%の時代であり、先ずはインターネットでそのキーワードを検索するはずである。田中氏の危惧は早計すぎるのではないか。

『土下座』や『丸刈り』は治療や回復には意味が無いのは誰の目で見てもほぼ明らかである。だが、『謝罪』としての意味までも無いのだろうか?『土下座』や『丸刈り』は謝罪を言葉だけでなく態度で示しているのである。


第一、土下座とか丸刈りなんていう派手な謝罪のあり方の根底にあるのは、「絶対に許して欲しい」「少しでも自分の有利にことを運びたい」「誠意があると信じて貰いたい」という自分勝手な強引な感情ですよね。(*1)

(土下座は)相手の感情を揺さぶろうとする計算(*1)

これは田中氏が「全ての依存症者の思考パターンは絶対にこうであり、土下座は計算である。」とレッテル貼りしてるだけであるが、本当に謝罪の意をもって表している人も少なからずいるはずである。

一般的に『土下座』や『丸刈り』をされたら、先ず、「あなたの謝罪の気持ちは良く判った。」と考えるのが普通ではないだろうか。その次に、「次にまた過ちを犯さないようにするにはどうするのか?」と問いかけ、受診、治療等の『行動』に繋がらなかった時に断罪すればいいのである。『土下座』や『丸刈り』だけでは『意味がない』と。



人間の尊厳


以下のようなものは効果がない。 恫喝、懲らしめ、見せしめ
依存症の回復に効果がある 依存症者を叩くより回復させたほうがメリットがある。(*2)

田口氏の『土下座』を叩いて、見せしめにしてるのは田中氏自身ではないのか?芸能人といえども一個人である。「土下座の意味は無い」という発言は田中氏の提唱する『タフラブ』なのだろうが、『見守る愛』があるかどうかも判らない、全く接点の無い田口氏に対しての『土下座』の否定は、『愛の鞭』ではなく『棘の鞭』ではないだろうか。これは自らの主義主張を広めようと芸能人である田口氏を利用しているに過ぎない。

「土下座の意味は無い」と発言するのであれば、公共の場では無く、私的な場で直接、本人に発言すべきである。公衆の面前で『土下座』をした、芸能人と言えども一個人を、発言力のある田中氏がツイッターで断罪するという行為は、田口氏の精神状態を全く考慮せず、『利己的』『独善的』であり、人間の尊厳というものを軽く見ているのではないか。発言するのであれば、「今すべき事は土下座ではありません。」「土下座の意味は無い。」では無く、「土下座で謝罪の意は伝わったが、土下座だけでは意味が無い。」が適切ではないか。田口氏の精神状態が心配である。

国立精神・神経医療研究センター・精神科医・松本俊彦氏の芸能界のコネクションを辿ってのフォローを期待したい。


(*1)引用元・田口淳之介さん、あなたがすべきことは土下座ではないです - 田中紀子
(*2)引用元・土下座に何故効果がないか?誰でもわかる依存症講座です - 田中紀子
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